■6 《幻side》 『青い鈴蘭』
作:校條 春
スズネは走っていた。
「んぎゃ~遅刻する~!」
校門を駆け抜け、的確な動きで靴を履き替え、歩いているのか走っているのか判定ギリギリの速度で廊下を移動し、クラスの扉を開ける。
「せ、せーふ」
安堵から、自分の席にへなへなと座り込む。
「今週でもう3回目じゃない? ぎりぎり登校」
「だってぇ」
スズネに話しかけてきたのは、隣の席の女子。仲のいい友達である。
「また時計いじりに集中してたの?」
「朝はやめようって心の中では思ってるんだけど、いざあの子たちを目の前にすると、いじらずにはいられなくって」
「重症だね」
「だってぇ」
スズネが言い訳をしていると、すぐに先生が入ってきた。
こうして今日もスズネの学校生活が始まり――
いつものように放課後となる。
「じゃ、私帰るね」
「スズネは今日もお店ですか。寂しいですなぁ」
「また時間ある時に遊ぼうって」
「はいはい、わかってるよ。また明日ね」
「うん、また明日」
スズネはそそくさと学校を出て、帰路につく。
途中、階段を上っていると、あるものが目に入る。
「あ、鈴蘭!」
石造りの階段の隅、ごく僅かなスペースに、青い鈴蘭が咲いていた。スズネにとって、鈴蘭は少し特別な花だった。スズネという名前は、母が鈴蘭からつけたものだと、お祖母ちゃんから聞いていたからだ。
「きれいだな」
白い鈴蘭も好きだが、普段とは違う雰囲気を持つ青い鈴蘭に、スズネは妙な親近感と愛着を覚えていた。
「よいしょ……」
もっと近くで見ようと、体勢を変えようとして、
「あ」
階段から足を踏み外してしまう。
全身から血の気が引く。
スズネは瞬間的に目を瞑って、衝撃に備えるが……
「危ない!」
体を伝って来たのは、温かさだった。
スズネはゆっくり目を開ける。
視界に入ってきたのは、ふぅ、と安堵する白髪の青年だった。
「ケガはない?」
「は、はい……」
ニコッと笑う青年の表情に、スズネは釘付けになる。声や雰囲気から、彼のまっすぐな優しさが染み込んでくるようだった。
「立てる?」
その言葉で、スズネは自らが置かれている状況に気づく。
いわゆる、お姫様抱っこに近い状況だった。
「あっ……! ごめんなさいっ……!」
頬を赤らめながら、青年の手の中から飛び降りる。
青年は青い鈴蘭を指さす。
「それ、近くで見たくなる気持ちはわかるけど、ちゃんと注意した方がいいよ。なんたって自然は危ないことだらけだからね」
「気を付けます……あの、あなたも好きなんですか? 鈴蘭」
「まぁね。昆虫とか植物とかに詳しい親友がいてさ、よく森とか川とかいくんだよ。青い鈴蘭を見つけるとラッキーって気持ちになる」
「そうなんですね。ありがとうございます」
「なんで君が感謝を? もしかして鈴蘭代表の方?」
「え、あ、違くって! あの、その、そう! 助けてもらったことへの感謝を表しています!」
「ははは、変なの」
「うう……」
恥ずかしくて俯くスズネ。
青年は軽く手を振って歩き出す。
「それじゃあね」
その背中に、スズネは勇気をもって声をかけた。
「あ、あの!」
青年が振り向く。
スズネは、もう一度勇気を振り絞る。
「お名前、教えてもらってもいいですか?」
青年は、また優しい笑顔で答える。
「呼続スオウ」
青年、スオウが去った後も、スズネはしばらくその場に立ち尽くしていた。その瞬間の、なんでもないはずの出会いを、心に残すように。
道の片隅、本来あるはずのない青い鈴蘭が、夕日に照らされながら静かに風に揺れていた。
それは、二人が現実世界の夢を見る、少し前の出来事である。
